嬉しいエピソード③~30年後の奇跡~

SAFETY SHOES時代は

何かをやる上でいつも

共に頑張ってくれたり

陰で力になってくれたりする誰かの存在がありました。


先日のリハやライブなどで

イヤな顔一つせず

一緒に重い機材を運んでくれた宏樹の存在もそうですが(宏樹ありがとな)

一人になった今は

「これ、一人じゃどうすることもできないな」

ということをあらためて経験していく中で

これまで以上に

応援してくれる人のありがたみというものを

より強く深く感じるようになりました。


つい先日も

CD-Rの購入に関してと

アルバムを待ってくれていることを

伝えてくださるメッセージをもらって

本当に大きな力をいただきました。

月並みな言葉で申し訳ありませんが

本当に感謝しています。



さて、こないだのライブでの

もう一つの思いがけないエピソードを…



ライブ後の物販の時

見覚えはあるんだけど

誰なのかは思い出せない若い男の子が

僕の目の前に現れました。 


「〇〇〇〇の息子です。今日は母に派遣されて、ここに来ました」


笑顔と共に

とてもしっかりした口調でそう挨拶してくれたのは

僕の同級生・「O」の長男で

この春から大学進学で東京に来ているR君。


彼の顔に見覚えがあったのは

「O」のFacebookで時々彼の姿を見ていたからでした。




「O」の存在がなければ

 僕は10代で音楽をやめていたかもしれません。


あれは高校3年生の時。


(意外かもしれませんが)その頃の僕は

授業中ずっと寝てるか

保健室で寝てるかの一方

体育の授業の時だけは元気で(←考え事しなくて済むからね)

クラスで集合写真を撮るような時は

自分なんか写っちゃいけないんじゃないかと思って

終わるまでトイレに行って時間を潰しているような子でした。


バンドをやっても

うまく人間関係が作れなくて

どんどん内に内にこもっていくばかり。


そんな自分から脱しようと

僕は曲を作り始めました。


たとえ誰にも理解されなくてもいいから

自分のための曲を作ろう




「絶対誰にも聴かせるなよ」

完成後、仲のいいクラスメートに

“カセットテープ”

を渡すと

彼はクラス中の女子にそのテープを持って


「これ敏郎が作った曲やねん。聴いたって」



な、なんでそうなるねん…

てか、なんちゅうことをしてくれるねん… 


自信など一欠片もなかった僕は

顔から火が出る思いどころか

顔ごと油田になりそうな勢いでしたが

直後にある女の子が

僕に手紙をくれたのです。




女子からの手紙には

僕には小さな「トラウマ」がありました。

あれは小学校5年生の時。

女の子の字で書かれた手紙をもらい

少しそわそわしながら

指定された場所に行くと

待ち構えていた10人ぐらいのクラスメートに笑い者にされた

てな話です。



高3の二学期。

まだ一度も話したことのない女子からもらったその手紙には

僕を笑い者にするための“罠”はなく

代わりに、おいしいクッキーが付いていました。



「桜井君、ありがとう。

悲しいことがあって、それ以来

何をしても、何を聴いても元気が出なかった。

でも、桜井君の曲を聴いたら

久しぶりに笑顔になれた。

自分でもびっくりするぐらい、心があったかくなった。

桜井君は私の恩人です。本当にありがとう」




実家の

夕日の差し込む自分の部屋で

僕はその手紙を

正座して読みました。



大学に行ってからも 

「桜井君のファンクラブができたら、会員番号1番は私やからね!」

そんなことを言ってくれるOがいなければ

僕は自分には何の価値もないと思って

つまらぬ事件でも起こしていたか 

自分を傷つけて終わっていたか

そんな人生だったかもしれないなって

どこかで

ちょっと思っている自分がいたりします。




手紙をもらってから30年後。

18歳の、立派な男の子が 


「母がずっと(昔のテープを)聴いてたので、母の代わりに来たんです」 


彼の言葉に

なんとも言えない深みを感じながら

同時に

何もかもが

肯定的に変化していくのを感じながら―



5年ぶりのライブは

ただの5年ぶりのライブではありませんでした。



情けないけど

今もどんな言葉でこのブログを締めたらいいのかもわからない(笑)。

あるのはただただ、感謝のみで。


ありがとう、という思いのみで。


Photography Arata Haga

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