ライブのメンバーについて/コーラス・MAKI

MAKIとの出会いは…

あれは僕が29歳の時(←20代っ!!

当時ゲーム会社の社員で

いわゆる「音ゲー」というものを僕らが作って

世に出し始めた頃のことです。


ある日会社の事務系の女性が

「私の友達でものすごく歌がうまい子がいるんですけど、聴いてもらえませんか」

当時僕はイケイケだったので

「うん、持ってきて!」

みたいな感じだったかと思います。

しかもちょっとエラそうだったかもね(笑💦


Hさん、というその女性から

後日"MD"を受け取った僕はびっくり。

そこにはライブハウスでのライン録音された歌が入っていたのですが


「こんな歌のうまい子がいるんだ…!」


という衝撃を受けました。


ぜひ紹介して!ということで

当時会社が入っていた

西新宿のアイランドタワーでMAKIと会ったのが

もう22年前…

MAKIいわく

「私が幼稚園の頃だね」

んなわけあるかい、と。



当時僕らが作っていた"音ゲー"は

輸出、特に韓国との関係で

歌ものは「日本語NG」でした。


最初は歌ものをやることも

会社の理解を得るのが大変だったのですが

(歌手を使ったところでゲームは売れるのか?と)

当時の僕は人の言うことをまったく聞かないので(←

とにかく結果を出しながら

新しい契約の形なども作っていき

フリーで活躍している外国人ボーカリスト達と組んで

たくさんの英語の曲を作っていきました。



MAKIと出会ったのはちょうどその後でした。

「そろそろ1曲ぐらい日本語の曲があってもええやろ」

「輸出に問題があるんやったらその時だけ外したらええやん」

という

遠慮のかたまりを絵にかいたような僕は(←いろんな人に謝れ!

もう絶対日本語でやってやろうと思って

そしてMAKIに歌ってもらうんだったら

こういう曲がいいんじゃないかと思って

作ったのがこの曲でした。

作詞はMAKIで

作編曲と演奏等を僕がやってます。

MAKIは歌がうまいのはもちろん

(今聴けば彼女本来の声というよりもキャラクターが入ってますね。でも結果的にそれがよかった)

この時すごくいい歌詞を書いてくれました。


MAKIはこれが歌手としての最初の仕事だったらしく

いまだに

「今年で『ありがとね。』から〇〇年経ちました。さくちゃんありがとう」

みたいな形で連絡をくれたりする。


(写真は2007年のSAFETY SHOES・TAKE OFF7でのワンマンより)



その「ありがとね。」を作った次の年に

僕はゲーム会社を辞めたのですが

不思議なもので

そこから友達として

そして僕の音楽仲間として

もう22年も楽しくやらせてもらってるってことに

本当に感謝しかありません。


「ありがとね。」は

いまだに大事にしてくださる方も多いので

昔のエピソードを中心に書いてみました。


懐かしすぎて

白髪が増えそうですが

昨日美容院でばっちり染めてきたのでドンと来いです。


というわけでMAKI今回もよろしくね!🤣✨✨✨

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